『窓ぎわのトットちゃん』
世界中で2371万部が発行されるベストセラーとなった黒柳徹子(ちひろ美術館館長)の自伝的物語『窓ぎわのトットちゃん』は、雑誌「若い女性」での約2年間の連載を経て、1981年に単行本として出版されました。
本書はちひろの絵でもよく知られていますが、黒柳とちひろは生前の面識はなく、ちひろの訃報を知った黒柳が遺族へ花束を贈ったことから、現在に至るまでの交流が始まっています。黒柳は、トモエ学園の話を書くならいつも子どものしあわせを願っていたちひろの絵を使いたいと考え、連載期間中に何度も美術館に通い、エピソードに合うちひろの絵を自ら選びました。表紙を飾るこげ茶色の帽子をかぶってお行儀よく座る少女や、半分背を向けて授業を受けている子どもなど……、亡くなる前に、少し描いていたの?と思う方もいるほどに、ちひろが描く子どもたちの姿は、トットちゃんの世界にぴったりと寄り添っています。
新しい学校・トモエ学園
小学校を1年生で退学になったトットちゃんが新たに入学したトモエ学園では、小林宗作校長のもと、戦時下にも関わらず、ひとりひとりの個性と可能性を大切にする教育が行われていました。たとえば、トモエ学園にはハンディキャップのある子どももいましたが、小林校長は彼らを「助けてあげなさい」ということは一度もなく、いつも「みんないっしょだよ。いっしょにやるんだよ。」とだけ言っていました。これには、子どもが生来持っている「いい性質」を見つけて、大切に伸ばし、個性のある人間にしていこうという想いが込められています。小林校長の理想の教育が行われていたトモエ学園ですが、東京大空襲で焼け落ち、本書はトットちゃんが疎開電車で東北へ向かうシーンで終わります。
黒柳徹子といわさきちひろ
「すべて、私のやっていることは、小林先生の『みんないっしょだよ。』が基本になっている※1」本書の縁でユニセフ親善大使に就任した黒柳は、約40か国を訪れて子どもたちの声に耳を傾け、今なお活動を続けています。
一方、青春時代のほとんどを戦争のなかで過ごしたちひろも、戦争では一番弱いものが犠牲になることを痛感し、美しいものが失われ、壊されていく戦争に強い憤りを感じていました。「この全く勇ましくも雄々しくもない私のもって生まれた仕事は絵を描くことなのだ※2」と語るちひろは、無邪気でいきいきとした子どもの姿をとおして不戦の想いを訴え、生涯にわたって描き続けました。
戦争を体験し、子どものしあわせと平和への想いを持つふたりですが、ちひろは描くことで、黒柳はユニセフ親善大使として活動することで、その想いを伝えています。そんなふたりの感性が織りなす『窓ぎわのトットちゃん』の世界は、国境を越え、今なお共感と憧れをもって読者の心に響きます。
2021年に、トモエ学園の精神を未来につなぐ「トットちゃん広場」(松川村村営)はオープン5周年、『窓ぎわのトットちゃん』は刊行40周年を迎えます。どんな時代、どんな場所にあっても、子どもたちがのびのびと健やかに過ごせる未来を願い、あらためて本書の魅力を紹介します。展覧会を見た後にはトットちゃん広場へも足を運び、『窓ぎわのトットちゃん』の世界を存分にお楽しみください。