天保4年(1833)に刊行された《東海道五拾三次之内》(保永堂版)を皮切りに、広重は東海道をテーマとした揃物を制作し続け、その数は二十数種類にも上ります。広重の名を世に知らしめることとなった保永堂版の成功の裏には、享和2年(1802)から刊行が始まった十返舎一九『東海道中膝栗毛』の爆発的人気による旅行ブームがありました。江戸時代は中世以前に比べ、人や物の移動が比較的容易になった時代でした。とはいえ、当時の人々にとって、旅とはやはり特別なもの。滑稽でお粗末、少々好色な二人組の珍道中は、貴賤貧富を問わず熱狂的に受け入られます。人々は自らの旅の思い出に彼らを重ね、あるいは弥次喜多の旅したまだ見ぬ憧れの地へ思いを馳せました。広重の街道絵は、時には机上で旅気分を味わうためのガイドブックとして、またある時には旅の思い出に浸るためのアルバムとして、好評を博したのでした。
さて、本展でご覧いただく《五十三次名所図会》は、安政2年(1855)に刊行された通称「堅絵東海道」ともいわれる55枚のシリーズです。広重が手掛けた東海道の揃物の中で唯一画面を縦に使った作品で、俯瞰的な構図を多く用いています。また、故事や伝承なども画題として取り入れ、鑑賞者を飽きさせない工夫も見られます。本揃物は、まさに日本各地の名所旧跡を紹介した「名所図会」を思わせるシリーズです。
広重は晩年、《六十余州名所図会》や《名所江戸百景》など、画面を縦に使った風景画を多く制作しました。一般的に、縦長の画面は風景画には不向きとされています。しかし広重は、縦構図の水平画角の狭さという弱点を、俯瞰構図や近像型構図(手前のモティーフを大きく描き、遠景を見通す構図)を用いて見事にカバーしました。年を重ねてなお新しい表現を模索した、広重晩年の大作をご覧ください。