會津八一はその生涯で様々な分野に関心を持ち、実践していました。門下の安藤更生は、「會津八一はレオナルド的天才である。歌人であり、俳人であり、書家であり、画家であり、美術史学者であり、英文学者だった」と記しています。事実、八一の興味は時に天文学や民俗学に及び、制作でも油絵から工芸まで幅広いものでした。
晩年は、夕刊新潟社社長を務め、新潟市名誉市民になり、郷土文化振興の旗振り役としてプロデューサー的役割も果たしています。北方文化博物館新潟分館が、昭和27(1952)年7月から一時期、名乗っていた「新潟県近代美術館」は、新潟に根差した作品を陳列すべきである、という八一の意見もあって命名され、看板も八一が揮毫しました。
このような様々な分野に参画する態度は、自らが作成した「学規」4か条の1則「日々新面目あるべし」に集約されています。この文言は、もともと八一の自宅に下宿していた学生のために書いたものですが、のちに自身の戒めの言葉となりました。過去の自分に留まらず、新しい自分を創り出そうとする、八一らしい言葉といえるでしょう。
本展では、八一の名品や、北方文化博物館が所蔵する郷土文化振興に関する作品資料などを紹介します。