福田眉仙(明治8年~昭和38年、1875~1963)は現在の相生市に生まれた日本画家です。久保田米僊、橋本雅邦に入門。日本美術院にも参加しました。明治42年(1909)、岡倉天心の勧めで中国に渡って各地を写生し、その成果は『支那三十図巻』という大作の絵巻に仕立て上げられます。同じ日本美術院の先輩であった横山大観との意見の相違から、中央画壇を離れましたが、昭和15年(1940)に開催が予定されていた東京オリンピックにあわせ、国立公園十二景を描いた連作屏風を制作し、訪日外国人に日本を紹介する展覧会を企画するなど、旺盛に活動していました。
第二次世界大戦により代表作の多くが焼失したと思われていましたが、今日ではその中のいくつかが再発見されています。
岡倉天心が「南画に向いている」と評した眉仙ですが、その本質は「写生」であり、作品の制作にあたっては、対象を実際に見てスケッチしてから臨んでいたことがうかがえます。本展では、当館で所蔵する国立公園十二景のひとつ『富士五湖』や『支那三十図巻』など代表作を中心に、初期から晩年に至る眉仙の作品を一堂に展示いたします。また、眉仙に絵の手ほどきをした宮田其渓や、師である久保田米僊、橋本雅邦の作品、作風の形成についてもさぐります。