昭和13年(1938年)に竣工した4代目県庁舎は、平成15年10月3日の閉庁式を以って、県政の中心としての役割を終えました。庁舎の設計は、本県(国分寺町)出身の著名な建築家・教育者である佐藤功一博士によってなされましたが、昭和12年に勃発した日中戦争による多大な影響を被り、竣工までには多くの困難がありました。また、この庁舎は、戦前・戦後から現在までの栃木県政の拠点として65年間にわたり、多くの役割を担って参りました。
今回展示する資料は、過去の行政文書が、時を経て歴史資料に変化した好例であり、資料からは、戦時色が濃厚となった時期における県庁舎建設を何とか成功させたいという県職員と佐藤功一博士の郷土への思いが伝わってきます。
佐藤功一博士は、大正末期から戦前にかけて活躍した人物であり、東京帝大建築学科を卒業後、早稲田大学建築科を創設したことでも知られ、生涯に233の建造物を残しました。手がけた代表的作品には、早稲田大学大隈記念講堂、日比谷公会堂・市政会館、津田塾大学本館、岩手県公会堂、群馬県庁舎、宮城県庁舎、滋賀県庁舎などがあり、現在もいくつかの作品が残っています。
このたびの展示では、県庁舎で長く使用された物品や、最近発見されて話題になった定礎銘板も展示します。