貴重な資料でたどる松竹映画100年のあゆみ
1895年に松竹を創業し、歌舞伎などの興行で地位を築いた白井松次郎と大谷竹次郎兄弟が、大衆娯楽として市場を広げていた映画の将来性を確信して松竹キネマ合名社を創立、東京は蒲田に撮影所を開設したのは1920年のことでした。1924年に所長に就任した城戸四郎は、ディレクター・システムを推し進めて現代劇に力を入れ、中でも庶民の哀歓を描いた“小市民映画”で独自色を打ち出しました。さらにトーキー映画の製作に乗り出して社の発展に貢献、この映画の青春期に城戸が高らかに掲げたモットーが“松竹第一主義”です。
1936年に開所した大船撮影所は、“大船調”と呼ばれるハイセンスな喜劇やメロドラマを送り出して人気を博す一方、京都の撮影所では主に時代劇が製作され、東西のスタジオが松竹映画の名声を高めました。戦後は小津安二郎や木下惠介ら名監督の作品が日本映画の黄金時代を飾り、1960年代末の映画斜陽期に生まれた『男はつらいよ』や、より近年の『釣りバカ日誌』が国民的な名シリーズに成長して、松竹喜劇の伝統を力強く受け継ぎました。
この100年の間、松竹映画は戦争や映画観客の減少の時代を乗り越え、日本映画界を代表するメジャーカンパニーのひとつとして今も業界を牽引しています。本展覧会では2006年の「松竹と映画」以来14年ぶりに、松竹映画が歩んだ道のりを改めてたどり、先進性と伝統を兼ね備えつつ、常に日本人の感覚に寄り添う作品を生み出してきたこの「和魂洋才」の映画会社の魅力に迫ります。