棟方志功が繰り返し描いたモチーフの一つに女人像があります。「裸体(ハダカ)の、マッパダカの顔の額の上に丸い星をつければ、もう立派な佛様になって仕舞うんだから、ありがたく、忝(かたじ)けないんですね。それが、ホトケさまというものなのです。(中略)その額の星が、つくと、付かないので、タダの素裸の女であったり、ホトケサマに成り切ったりするという、大きな世界は、うれしいものです。」(『板画の肌』1956)と語る棟方は、生命エネルギーに溢れた女性を、ふくよかで包容力のある、母や妻のような、仏のような慈愛に満ちた姿で描きました。また、海や山、四季といった自然への畏敬の念や、尊敬、親愛など、さまざまなものへの祈りの想いも女人の姿で表しています。
棟方の女人崇拝は、ムナカタ姓の起源への想いも関係があるでしょう。棟方は自らの姓のルーツが九州にあるとします。福岡県宗像市の宗像大社、この宗像の字は古事記や日本書紀において胸肩と記されます。後に宗形、宗像、牟奈加多などと表記を変え、九州から青森へ入るまでに棟方の字となったことから、棟方は「大きな祖流が、この神社とつながりある事かと何時も胸つまる想ひに手を拍つのだ」(『板愛染』1948)と、南方から北方へと繋がる先祖の血の流れを意識し、誇りにしていました。その宗像大社の祭神である三柱の女神様、宗像三女神は道主貴とも呼ばれ、航海や交通安全の神として崇められています。棟方も1959年の初渡米時の船中、太平洋の真ん中で心ゆくまで宗像女神を彫ったそうです。中でも市杵島姫神は神仏習合思想の本地垂迹説において弁財天と同一視され、棟方は弁財天を好んで描きました。
冬の展示では、棟方が己の起源に思いを馳せ、祈りを込めて生涯好んで描きつづけた、躍動し、天を舞い、大地に立つ、やわらかくも力強く美しい表情豊かな女人像をご紹介します。