当館創立者、根津嘉一郎(号 青山)が茶の湯を好むようになったのは、五十歳を過ぎてからでした。実業家としての多忙な仕事の合間をぬって、親しい友人を招き、俗事を忘れて、数寄風流の茶会を楽しみました。古美術の名品を数多く蒐集した青山でしたが、茶会では、いわゆる名物にはこだわらず、思いのままに茶道具を取り合わせました。その主流となるのは、侘び茶の道具でした。
今回は、残されている茶会の記録から、初秋~初冬にかけての茶会を選び、その茶道具取合わせをを再現いたします。
大正七年(1918)五十九歳の秋に催した「初陣茶会」の後は、大変な評判となり、関西の数寄者までが茶人・青山に関心を示すこととなりました。「軽井沢別荘・席開きの茶会」では、山荘らしい侘びた取合わせが好評を得たので、その翌月には東京・青山の自邸で「名残の茶会」にのぞんでいます。師走「夜話の茶会」では、年末の多事多用を切り抜けて帰宅し、懐石料理を楽しみ、茶を点て、客たちとの清談に時を忘れました。年末の「歳暮の茶会」は青山の恒例茶会として毎年行われ、当館に引き継がれ現在にいたっています。
根津青山の茶会を通して、女性の茶道愛好家のみならず、茶の湯を敬遠している現代の男性にも、その底知れぬ魅力を感じていただければ幸いです。