当館の収蔵作品を紹介するコレクション展。郷土作家はもちろん、海外の著名な作家の作品も多数紹介しており、
県外から来られたお客様にも大好評をいただいています。コレクション展は年に4回、多彩なテーマを設けて開催します。
名品セレクション + 静かなるもの
宮崎県立美術館では、「郷土出身作家及び本県にゆかりのある作品」 「わが国の美術の流れを展望するにふさわしい作品」 「海外のすぐれた作品」 という3つの柱にそって、作品収集を進めてきました。開館後20年以上を経て、総収蔵点数は4,000点を超え、充実したコレクションになっています。
ここでは、この中からコレクションを代表する国内外の名品を選りすぐって紹介します。ピカソをはじめとする海外作家の名品、日本美術史に大きな足跡を残した国内作家の名品、そして当館の特色の一つであるシュルレアリスムコレクションの名品とともに、毎回テーマを変え、特定の分野やグループ等にスポットを当てた特集展示も行います。
今回は、初公開のドラン作品をはじめ、ボナールらの静物画を特集します。多彩なコレクションの魅力をご堪能ください。
宮崎の美術 特集 太佐豊春
明治時代、日本の絵画は急激な社会の変化の中で転換期をむかえます。西洋の表現も取り入れられ、新しい「日本画」を求めた模索が始まりました。この時代に活躍した本県出身の日本画家として、伝統的な狩野派の流れを汲む山水画で力を発揮した山内多門がまず挙げられます。また、同時代に秀麗な美人画で認められていたのが益田玉城です。
一方、本県出身の洋画家では、太い輪郭線と鮮やかな色彩で独自の画風を追究した塩月桃甫が、大正5年に文展(文部省美術展覧会)に入選しています。また、力強い筆づかいで生命力あふれる女性像を描いた山田新一などが中央画壇で活躍しました。
今回は、宮崎県を代表するこれらの作家の作品を紹介するとともに、宮崎県出身の画家・太佐豊春の特集展示も行います。
本県出身の作家やゆかりの作家による作品の魅力をお楽しみください。
謙二郎と小五郎
宮崎県延岡市出身の作家である2人の兄弟、渡辺謙二郎と渡辺小五郎を紹介します。
渡辺家の長男である渡辺謙二郎(1900-1943)は、上京して絵画を学んでいましたが、数年で帰郷し家業に従事します。そのかたわら、身近な風景などを題材に数多くの油彩や水彩画を描き続けましたが、それらを一度も世に発表することなく、42歳で生涯を終えました。
渡辺家の三男である渡辺小五郎(1911-1941)は、東京美術学校彫刻科で木彫を専攻しました。時代の流行を感じさせるモダンな造形で、縦長にデフォルメされた、柔らかな曲線による女性像を表しました。二科展に連続入選し東郷青児らに認められるほど将来を期待されていましたが、29歳の若さで亡くなりました。亡くなった年の二科展には遺作が特別展示され、その後二科会会員に推挙されました。
長い間、2人に関する資料は、詩人である渡辺家の次男、渡辺修三が編集した『鷦鷯集』(1977年発行)や、宮崎県総合博物館での「延岡の異才 渡辺謙二郎・小五郎展」資料(1982年)のみとされていましたが、平成28年度に、手紙や日記、作品などを含む多くの資料が残されていることがわかり、同年から翌年度にかけて詳しく調査を行いました。今回はその残されていた資料などを併せて展示し、2人の足跡をたどります。
瑛九 - デモクラート
宮崎市出身の瑛九(本名:杉田秀夫)は、常に新しい表現を追求し、写真や版画、油彩など様々な技法に取り組みましたが、作品制作以外でも評論活動や啓蒙活動など多彩な活動を行いました。数々の美術団体結成に携わったことも、その一つです。
中でも、後に世界的に活躍する美術家を多く輩出した日本の美術史上特筆すべきグループとして、「デモクラート美術家協会」があります。「デモクラート美術家協会」は、1951年に瑛九を中心として大阪で結成されました。この会では、既成の美術団体や権威主義を否定し、一切の公募展に出品しないことを指針としながら、自由と独立の精神による制作を目指しました。画家のみならず、写真家やデザイナー、評論家など様々な分野からの参加者により会員が構成されたのも特徴的でした。その後、瑛九の転居に伴い東京でも活動が広がるなど、1957年に解散するまでの短期間に活発な活動が展開されました。
泉茂、池田満寿夫などの多彩な版画作品や、靉嘔、磯辺行久、加藤正などの表現豊かな油彩作品とともに、大阪、東京の双方で出品していた瑛九の、最も制作活動が充実していた時期の作品をお楽しみください。