世界的な建築家磯崎新(1931~)とネオ・ダダ(ネオ・ダダイズム・オルガナイザーズ)の主要メンバーである吉村益信(1932~2011)は、大分市内の画材店「キムラヤ」を活動の中心とした美術サークルなどで出会い、親交を深めました。このキムラヤには赤瀬川原平(1937~2014)、風倉匠(1936~ 2007)も集まっていました。
1957年、吉村は新宿百人町にアトリエ兼自宅を自力で新築しました。これは、磯崎が即興でスケッチしたプランを基にしたものでした。その白い壁からホワイトハウスと呼ばれ、1960年に吉村、赤瀬川、風倉らがネオ・ダダを立ち上げるとその活動の拠点として、展覧会、過激なイベントの舞台となりました。
磯崎はイメージを吉村に伝えただけで、設計した認識はありませんでしたが、後に赤瀬川の著作中で「じつは磯崎新の処女設計である」と記され、初めて自身の設計と認識しました。これについて、磯崎は「赤瀬川が最初に見つけた『トマソン』はホワイトハウスです」と語っています。
今回は、磯崎と関わりの深い、大分市ゆかりの吉村、赤瀬川、風倉などの作品を紹介します。