一原有徳は、自らが俳句や幻想小説を手掛けていたことから文壇にも知人が多く、さまざまな詩集、句集、雑誌、機関詩などの装丁に、版画作品が活用されています。河邨文一郎を代表する詩誌『核』は、「核の会」創立の翌年である1959年2月に創刊され、その編集者として第8号から腕を振るったのが、河邨文一郎の一番弟子の米谷祐司でした。米谷は『核』の表紙・扉の挿絵として一原の版画作品を起用し、表紙のレイアウト自体も自ら手掛け、気に入った作品は部分を切り抜いて多用し何度も掲載しました。1950年代当時一原はモノタイプ技法を見い出したばかりで、全道展や国画会展に出品し始めた無名の存在でしたが、米谷は『月刊おたる』を通じて、たびたび一原を取材しインタビュー記事を掲載しています。本展は、月刊おたる発行人の米谷祐司が手元に保管していた版画作品と詩誌『核』を展覧し、一原有徳と詩人たちとの交流を紹介するものです。