塩谷定好(しおたに・ていこう 1899年~1988年)は、大正末から昭和初期にかけて隆盛した「芸術写真」の第一人者です。鳥取県の赤碕に身を置きながら、山陰の風景や人物を独特の美意識のもとにソフト・フォーカスでとらえた作品は、『カメラ』や『アサヒカメラ』といった写真雑誌のコンクールや全国規模の公募展で入選を重ね、植田正治をはじめ地元のアマチュア写真家たちにとって「神様みたいな存在」として尊敬を集めていました。その後戦争による空白期間を経て活動を再開、地元のカメラクラブを中心に旺盛な活動を行い、終生にわたって作品をつくり続けました。1982年にドイツのケルンで開催された世界最大の写真関連見本市「フォトキナ写真展」での最高賞である栄誉賞の授賞にはじまり、近年では、美術館での個展も相次いで開催されるなど、再評価の動きが高まっています。
鳥取県立博物館では、このたび塩谷定好の生誕120年を記念して、1920年代の初期作品から、あまり知られてこなかった戦後1970年代までの作品を一堂に紹介する回顧展を開催します。また、日本写真史における芸術写真のムーヴメントを牽引してきた代表的な作家や、塩谷と交流のあった日本光画協会の会員、カメラ雑誌『芸術写真研究』や地元のカメラクラブで同時代に活動していた写真家たちの作品もあわせて展観し、人々を魅了した芸術写真の時代とその精神について検証する機会とします。