【常設展示1】 瀬戸内国際芸術祭の作家たち
瀬戸大橋開通と同じ年の1988(昭和63)年、待望の「高松市美術館」が、栗林公園内から商店街に隣接した市街地中心部(日本銀行高松支店跡地)に移転オープンしました。これは旧美術館の老朽化に伴い、市民らが再び「地域の芸術文化活動の拠点となる新美術館の建設」を希求し実現したものです。
そして、収集方針に添った系統的コレクションの形成と常設展示室での作品公開、特別展の企画や教育普及等様々な美術館事業を展開する中、2010年に瀬戸内国際芸術祭が始まったことは、現代美術コレクションにより国内外から高い評価を得つつあった当館にとって追い風となりました。現代美術の盛り上がりに乗って、前年の2009年にスタートさせた「高松コンテンポラリアート・アニュアルvol.00」は全国的にも珍しいアニュアル形式であり、今年で9回目を迎えました。そして、福武財団のアートサイトを持つ直島・豊島・犬島を核とし、瀬戸内海の12の島と高松・宇野で繰り広げられるトリエンナーレ形式の瀬戸内国際芸術祭(今年が4回目)では、当館所蔵作家たちの活躍も見られます。本展では、その瀬戸内国際芸術祭の参加作家から23人を紹介展示し、島とは異なる作品のバリエーションを楽しんでいただきます。
【常設展示室2】黎明期の高松美術館
終戦の翌1946(昭和21)年3月、南京での捕虜生活から復員した明石朴景は、焼野原になった故郷の姿に、美術による復興を決意すると、美術館建設に奔走し、募金運動の中心となる。また、復興を目指して計画された市制60周年を記念する「観光高松大博覧会」(1949年3月~5月開催)に乗じて、栗林公園内に建設される「科学館」を美術館として再利用すべく、高松市議会議員の川野嘉平も動いた。美術界は北原千鹿と磯井如真らを中心にまとまり、在京の猪熊弦一郎が紹介した建築家・山口文象(グロピウス門下でモダニズム建築の名手)の設計により、公立美術館として戦後第1号となる高松美術館が誕生した。1949(昭和24)年11月3日、細渓宗次郎会長(高松美術館建設協力委員会)は「本館は県外旅行者にみせるためのものではなく、県民美術情操を磨くところとしたい」と来賓100人を前に挨拶したという。開館の翌年には美術研究所を開講し、小中高校生対象に絵画指導が始まる一方で、日展、院展、現代日本美術展、日本国際美術展、安井賞展など中央の美術界の動向をリアルタイムで伝え、また郷土ゆかりの作家を顕彰する展覧会事業等を1987(昭和62)年まで開催した。本展では、17作家による作品により戦後間もなく誕生した栗林公園時代の美術館を振り返ります。