放浪の旅人になる
禅語に「處々全真」(しょしょぜんしん)という言葉がある。到る処のものすべてが真実であると訳してよい。春には春の良さがあり、夏には夏の良さがあり、秋には秋の趣があり、冬には冬の無彩色のような味があるのだ。
私が敢えて放浪の旅人になりたいのは、自分流のエゴの物の考え方をもっと高度な視線に置きたいためなのである。柿はつやつやとして柿色である。茄子の紫になろうとも、胡瓜になろうともけっして思っていない。
胡瓜もきっとそう思っている。柿をうらやましいと思っていないのだ。
ところが人間だけが誰々さんみたいになろうと絶えず化身しようと努力する。個性ということを頭の中で考えて作ろうとする。捨てることである、ということが気付かないのだ。別の角度から自分を見るチャンスが持てる放浪の旅に出かけることなのだ。 斎藤真一