学校の帰り道、野の花をやたらと摘んで帰った思い出がある。とりわけ花が好きというわけではないが、母ちゃんは花が大好きであったからである。
子どもなりに、サイダーのビンへ色とりどりの花を生け、茶だんすの上にそっと置いておくと、野良仕事を終えた母ちゃんが、「まーきれいだねー」と、喜んでくれた。
気づいてほめてくれるものだから、野の花ばかりでなく、近所の庭の花を失敬してくることもあった。
母ちゃんには子ども心なりに気をつかっていた。
実は、僕が2歳の時、母ちゃんは亡くなってしまった。そして、新しい母ちゃんに育てられた。
だから、今思い出してもその時の複雑な気持ちはわからないが、母ちゃんが喜んでくれるその笑顔を見ると、安心したような気がする。
僕の描く絵には花が多い。子どもの頃、野の花を摘んだように、どんな小さな雑草の花でも描きこんでしまう。特に紫色の花には、つい目がいってしまう。
春の[桐の花]、夏の[つゆ草]、秋の[松虫草]など、ほんの一例だがよく描いてしまう。小さく、きゃしゃで、可憐な花ほどいとおしい。厳しい冬を土の中でじっと我慢し、春にそっと咲く。もしかすると、誰も気づかず散り、翌年の春まで待つからだ。
春の風が吹き始める季節がやってくると、アトリエにいてもそわそわして落ち着かない。
きっと風にのった花便りが、僕を旅に誘うからである。
原田泰治[講談社「原田泰治と行く 花を見る旅」より]