花より花らしく
一茎の花を咲かせるにも、たえずそそがれる愛の心がなくては満足な開花はありません。一枚の作品を描きあげるにも、水を、肥料をやり、雑草をのぞかねば美しい花を見ることができぬと同様、満足な作品はできないと信じてをります。
ただ、美しい花を、あるがままにうつしとるのでは、花のもつ不思議さも、生命も、画面に見出すことは困難でせう。いかほど迫真の技術を駆使しえても、ほんものの、一茎の花に劣リませう。
花よりもよりいつそう花らしい、花の生命を生まなくては、花の実体をつかんで、画面に定着しなければ、花の作品は生れません。
つまリ私の描きたいと念願するところの花は、私じしんのみた、感じた、表現した、私の分身の花です。この花に永遠を封じこめたいのです。
生涯自信のもてる一枚の花を描きたいのです。
三岸 節子(三岸節子著『花より花らしく』(1977年、求龍堂)「花より花らしく」<1965年>より抜粋)