今回展示される、田中奈津子の“Being series”は、京都市左京東部いきいき市民活動センターと京都市岡崎いきいき市民活動センターに通って制作されたものである。貸し施設であるから、当然、様々な制約がある。自由が利く自らのアトリエがあるにもかかわらず、田中は何故、このような環境を選んだのだろうか。
2015年頃から、田中は壺を描くようになった。壺の形を描くことを課して、そこから絵画を組み立てていったのだ。おそらく、田中は自らの感覚で描いていくことに懐疑的になっていたのだろう。しかし、描き続けていくと壺を描くことも制約ではなくなっていき、次の展開に向けての契機を必要としていたことだと思う。その時、例えるなら、自らが壺の中に出入りするようにして描かれたのが、今回の”Being series”ではなかろうか。
もっとも、今回の条件は画面上の制約の比ではない。特に時間の制約は大きかっただろう。さらに、貸し施設であるが故に、他の場所で練習する音楽や演劇の音や声も聞こえてきたともいう。今回の作品群では、これまでになくストロークが強調されていたように感じられたが、それを環境に感応したものととらえることもできる。
しかし、今回の田中の制作は日々の成果を残すにとどまらず、もっと根源的なものを掴もうとしていたように思う。時間も絵具の数も限られた中で、何度もリセットしながら制作を続けること。そこから何を生み出せるのかに賭していたのではなかろうか。そして、この試みが、次の作品を起動する契機となるように思う。
吉川 神津夫 (徳島県立近代美術館学芸員)