長重之(1935-)は東京・日暮里に生まれ、9歳の時に父親の実家である足利・梁田に疎開、以来ここを拠点に活躍する美術家です。長は約70年に及ぶその美術製作を「地図を描いてきた」と総括します。「渡良瀬川、福猿橋の土手」とは、長のアトリエ付近を示し、彼の地図の起点であり、水準点でもあります。
疎開した翌年、図案家・工芸家の父・長安右衛門が病没、わずか10歳の長が家督を相続、さらに敗戦後の新憲法の下、農地解放によって広大な土地の減失という衝撃的な体験をします。高校入学、美術部に入り油絵を描き始めますが、同時に地元の前衛絵画グループ「VAN」に加わり大いに美術の刺激を受け、モダンアートに開眼しました。卒業後、ガス会社で働き、過酷な労働環境の中、左翼運動や実存主義などの西洋哲学にも触れ、肉体を通して自らの内的世界を探求、その頃の自画像が≪火夫≫の連作です。その後精神科病院の作業療法士助手として働き、人間の精神の神秘に惹かれ「異常と正常、その境界」を体験的に学び、思索もより先鋭化し後の作品に昇華されることになります。33歳、巨大化した綿布製の≪ピックポケット≫を東京の画廊で発見、鮮烈な画壇デビューを果たしました。その翌年、美術家として生きていく決意表明でもある記念すべきイベント「ロードワーク<KO,KO>」を実施、測量し記録する行為を美術表現に加えます。築250年という自宅母屋の解体を記録≪原野Ⅱ≫、その廃材を使ったインスタレーション「点展」「複合展」。そして43歳、代表作となる≪視床≫を発表、「視る、計る、記す」長の地図製作手法を集大成したといえる同シリーズによって評価を確立しました。
本展は、1章 渡良瀬川 美術家の誕生、2章 福猿橋 反絵画の起点、3章 土手の向こう側 時空の旅、として、長の初期から最新作まで約90点と、父・長安右衛門の作品をはじめ地元の師友の作品約20点で長重之の「方法の地図」を旅することとなります。