タイトル等
Painterliness(ペインタリネス) 2018
石川裕敏 圓城寺繁誉 河合美和 岸本吉弘 善住芳枝 中島一平 真木智子 渡辺信明
【テキスト尾崎信一郎】
会場
ギャラリー白 ギャラリー白3 ギャラリー白Kuro
会期
2018-09-03~2018-09-15
休催日
日曜日 休廊
開催時間
11:00a.m.~7:00p.m.
土曜日5:00p.m.まで
概要
風景としての「ペインタリネス」 尾崎信一郎
「ペインタリネス」もついに20回目を迎えた。1995年に初回が開かれたこのインターバルをはさみながら、ほぼ四半世紀にわたって続けられてきた。このような展覧会は美術館においてさえまれであり、企画するギャラリーの「持続する志」を反映している。
私が関西から離れた同じ年、2006年の「ペインタリネス2006」以来、毎回テクストを執筆させていただいていることも何かの縁であろう。いつも記すとおり、この集団展は毎回8名程度の画家が参加し、少しずつ出品者を違えながら続けられてきた。出品作家は広い意味におけるペインターな抽象表現を探求する点、今やヴェテランの世代に属する点において共通する。今、ヴェテランと記したが、もちろん彼らも最初から熟練していた訳ではない。この展示に加わることによって自身の作品を鍛えていったと考えてもよかろう。したがってこの展覧会は関西の一世代の抽象画家たちの絵画的達成を一覧する好機であり、少なくとも20世紀末から今日まで、関西には抽象絵画の厚みのある伝統が存在し、持続的に深められてきたことを暗示している。しかし同時にこれはいささか例外的な事態でもある。やはり何度も記した点であるが、アニメーションが日本文化の代表格とみなされ、映像表現が美術の主流となり、絵画においては具象表現が優勢な今日、抽象絵画を選ぶことはあえて時流に抗する姿勢
である。しかし現在隆盛する幼稚な絵画の中にここで展示される作品を超える強度を宿した例が果たしてどれほど存在するだろうか。
さて、今年の「ペインタリネス」には8名の作家が出品している。このうち7名は一昨年、昨年と同じ顔ぶれであるが、新たにもう一人、2009年の「ペインタリネス2009」以来、ほぼ10年ぶりに真木智子を加えた。真木は今年の4月、ギャラリー白における久しぶりの個展で鮮やかな新作を発表したが、彼女以外にも出品者の多くがこの一年の間に充実した個展を開き、それぞれの進境を示している。私はそれらの大半を実見したから今回の展示においても出品作品が安定と変化の間でとりどりに豊かな表情を示すことを確信している。
真木の名前を引いたところで、私はペインターな抽象絵画に関してここ数年感じてきた一つの趨勢について論じてみたいと考える。それは風景というモティーフの出現である。「ペインタリネス」に出品する作家たちは絵画に関する二つの誘惑を慎重に避けてきた。一つは再現的なイメージを安易に導入すること、もう一つは画面を物質として強化することである。言い換えるならば、具象性とミニマリズムを迂回して画面をいかに活性化するかという点が問われた。この点で出品作家のうち何人かの作品に水平や垂直の要素が時に明瞭に、時にあいまいに出現したことは興味深い。石川裕敏は光の粒子を水平方向に組織し、河合美和の近作においては木立を連想させた垂直の構造がY字のそれへと変化を遂げ、岸本吉弘の場合はしばしば動勢を帯びたストライプとして方向性を備えた形象が刻まれる。逆に中島一平が近作において多用する斜交ストロークは以前強調されていた垂直水平のストロークに対するオルタナティヴかもしれない。それらのイメージは具体的な対象を参照することなく、堅牢な画面の中に一つの空間を立ち上げる。私はこのような空間を風景的と呼びたい。ミニマリズムの絵画が支持体と絵具という物質へと還元されたのに対して、ここに実現された空間は不確定の奥行きを宿している。植物の形態に由来する形象を重ねつつ、イメージの反転と交錯を画面の奥に向かって展開する渡辺信明、しなやかなストロークを重ねる善住芳枝の絵画においてもイメージは物質ではなく相互の揺らぎとして出現する。地と像がしばしば拮抗しつつオールオーバーに画面を構成する圓城寺繁誉の場合も絵画は浅い奥行きを伴う。
画面が水平ないし垂直の軸をもち、あいまいな奥行きを宿すことは、絵画が風景を準拠枠として成り立っていることを暗示している。なぜなら人が風景に眼差しを向ける時、そこには直立する身体の垂直と人が立つ大地の水平があらかじめ与えられ、人は両目の視差によって生じる奥行きとして風景を感受するからである。したがってこれらの絵画はそれ自体で自立するのではなく、眼差しを向けられることをあらかじめその構造の中に組み込んでいる。むろん絵画が視覚的な存在であるという理解はモダニズム絵画において共有されており、クレメント・グリーンバーグが実体を欠いた蜃気楼のごとき視覚性を評価したことはよく知られている。しかし「ペインタリネス」の画家たちは蜃気楼ではなく風景を絵画のモデルとして提示した。蜃気楼は視覚さえあれば認識できるが、風景は画家/観者の身体を必要とするからだ。いうまでもなくここには身体を作品の函数とみなしたミニマル・アートの教えが反映されている。絵画はそれ自体では完結せず、画家/観者をその一部に組み込むことによって初めて意味を宿す。しかしこれはなんら驚くべきことではないだろう。バーネット・ニューマンでもよい、クリフォード・スティルでもよい、出品者たちが仰ぎ見るペインタリーな画家たちの絵画もまた同様の構造として成立していたからだ。
私が風景という主題系を強く意識したのは先に触れた個展における真木の新作がきっかけであった。垂直性が強調され、時に奥行きが暗示される構造は明らかに一つの飛躍を遂げていた。そして近年私の印象に残った発表の多くが、世代や作風を超えてこのような主題に連なっていたことをあらためて思い知る。例えば中村一美、津上みゆき、あるいは最近では柴田知佳子の作品に私は風景を媒介とした観者との交渉の可能性を感じた。風景の絵画ではない、風景としての絵画。それは私たちの「ペインタリネス」の可能性の中心へと通じている。
(おさき・しんいちろう 鳥取県立博物館副館長)
イベント情報
◆ギャラリー・トーク◆ 9.3(mon)6:00p.m.-尾崎信一郎氏+出品作家
会場住所
〒530-0047
大阪府大阪市北区西天満4-3-3 星光ビル2F
交通案内
●JR大阪駅/地下鉄梅田駅より約15分
●京阪/地下鉄淀屋橋駅1番出口より約10分
●地下鉄南森町駅2番出口より約10分
●京阪なにわ橋駅1番出口より約5分
ホームページ
http://galleryhaku.com/
会場問合せ先
06-6363-0493 [email protected]
大阪府大阪市北区西天満4-3-3 星光ビル2F
Webcat plus 展覧会タイトル等から関連資料を連想検索