「呪う」と「祝う」。
人の思いに端を発するこれらの願望は、 一見両極端に見えつつも、思いのエネルギーを もって対象に作用することを指向する点で、 同一のものと言える。
いかに作用してほしいか、という願いも相対的なもので、 誰かへの祝福は誰かには呪いになるかもしれず、
逆も言えるだろう。
「思い」を形にするためには「思う」だけでは十分ではない。人は「思い」を言葉に乗せて「呪い/祝い」、それでもまだ十分でなければ、自身を超えた力を借りて「呪う/祝う」。人を超える力を召喚するために生み出された手続き「まじない」は、人の心に深く根を下ろし、いつしか「呪い/祝い」と「まじない」は不可分なものとなっていった。
文明と共に夜が明るくなり、人を超えた力への畏敬も薄れかけた現代においても人の心から「呪い/祝い」が消えることはない。脈々と受け継がれてきたその技法「まじない」もまた、超越的な力へのアプローチという内実こそ忘れ去られつつあるものの慣習と化することでその命脈を保ち続けた。
日々の暮らしの中で何気なく験を担ぎ、願を掛ける時、人は我知らず「人を超えた力」に祈りを捧げている。
「呪う/祝う」という思いを引き金として「まじない」を行う時、それがいかに形骸化された仕草のようなものであっても、人はその「儀式」を通じて世界に内在する超越的な力に接近していると言える。
今回、本展のために集った作家たちもまた、そのような計り知れないものに対して、異なったアプローチで触れようと制作を続けている。
目には見えず、触れることもできず、五感では知覚のかなわない、しかし人が頼り、畏れずにはいられない、強大な力を持つなにか。
彼らの作品を通して、そんな世界の秘密の部分に少し近づけるのではないかと思う。