葵祭は、京都三大祭の一つとして知られている祭で、正式には「賀茂祭」といいます。この祭の起源は古く、奈良時代以前にまでさかのぼります。当時の祭は山城盆地の豪族であった賀茂県主の氏神をまつるものでした。騎射のために多くの人が集まり、危険なことから禁止の命令が出されるほどにぎわったこともあったようです。
平安京遷都の頃から賀茂の神が山城盆地の守り神的な地位となり、嵯峨天皇の皇女の有智子内親王が斎院として奉祀することにより、この祭が朝廷の祭となりました。それ以降、宮廷の祭祀儀礼と呼ぶにふさわしい内容になり、宮中から勅使が派遣され、にぎやかなパレードも行われました。この勅使が近衛使で、若い貴族がきらびやかな衣装を着て行進することから、パレードの花形として貴族の間で人気がありました。
斎院は鎌倉時代の初めに絶えましたが、勅使の派遣される祭は続きました。しかし、戦国時代になると勅使の派遣も中止され、神社が行う神事を除き、他の行事は約200年間途絶えました。江戸時代に入り、種々の朝廷の儀式が復活する中で、この祭も元禄7(1694)年に復興しました。その後、明治維新の混乱や太平洋戦争で一時期中断することもありましたが、1953(昭和28)年に再開してからは、1956(昭和31)年から斎王代・女人列が加わるなど、今日私たちが見る葵祭の華やかさになってきました。
この展覧会では賀茂祭を時代により四期に分けて、絵巻物や屏風、歴史資料などを用いて葵祭の歴史をご覧いただきます。