目黒区美術館は、明治以降、海外で絵を学び、また活躍した日本人作家の作品収集を基本方針の一つとして、1987 (昭和62)年に開館しました。
なかでも、1913(大正2)年に渡仏し、1920年代にはパリで「画壇の寵児」となった藤田は、当館のコレクション形成にとって重要な作家で、開館前からその作品の収集を始め、特に戦後藤田と交友したアメリカ人フランク・E・シャーマンの旧蔵コレクションをまとめて収蔵できたことは大きな成果でした。そして、開館の翌年に開催した「レオナール・フジタ-絵と言葉」展は、画家・藤田が絵画制作とともに、フランスで手がけた「挿絵本」を網羅的に紹介した初めての試みでした。その後、「藤田嗣治と愛書都市パリ」(2012年、渋谷区立松濤美術館ほか)、「藤田嗣治本のしごと-日本での装幀を中心に」(2013年、千代田区日比谷図書文化館)などが開催され、藤田の挿絵本は多くの方々に知られるようになりました。2018 (平成30)年は藤田嗣治の没後50年にあたります。これを記念し、目黒区美術館では、藤田の画業の中から挿絵本を中心に紹介する展覧会を再び開催いたします。 1886 (明治19)年東京に生まれた藤田嗣治は、東京美術学校(現在の東京藝術大学)の西洋画科で学んだ後、1913(大正2)年、26歳でフランスに渡リます。1919年、サロン・ドートンヌに出品した6点すべてが入選し、 1920年代初頭に発表した乳白色の肌をもった裸婦像は、藤田独自の表現として当時のヨーロッパで高い評価を得ました。フランスで画家としての地位を確立した藤田は、絵画だけでなく挿絵本の仕事にも積極的に取り組むようになります。19世紀後半から20世紀にかけて、希少性の高い挿絵本は愛書家たちの収集対象となっており、藤田がパリに渡った当時のヨーロッパは挿絵本の興隆の時代だったのです。
1919年、藤田は初めての挿絵本『詩数篇』を手がけ、1920年代には30冊以上の挿絵本がフランスで出版されました。すでに挿絵を手がけていた他の画家たちを凌駕するこの仕事量は、当時のフランスでの藤田の人気を反映したものであると同時に、藤田自身が挿絵本の世界に魅せられていたことを物語ってもいます。
本展では、戦前のフランスで発行された藤田の挿絵本、1930年代から40年代の日本での出版に関わる仕事、1950 (昭和25)年フランスに移住した後の大型豪華本の挿絵などを中心に、「本のしごと」をふり返ります。また絵画や版画といった「絵のしごと」、さらには藤田が友人に送った葉書や絵手紙、手作りのおもちゃ、テーブル、陶器なども同時に展示し、藤田の幅広い創作活動を紹介いたします。