40周年の幕開けに沢村澄子を迎えて
1995年1月17日、阪神淡路大震災。そのことをなしに私の「今」を語ることは出来ない。そして津高和一先生をはじめ、知り合いだけでも多くの人を失った。2011年3月11日、東日本大震災。ひと月後にはじめて仙台入りしてから毎年東北入りしてきた。その拠点がせんだいメディアテークでした。その当時副館長の佐藤泰さんから何回か沢村澄子の名を聞き、福島、宮城、岩手を周る時にも名を聞いた。それは東北と神戸を繋ぐプロジェクトと関わってのことでしたが、沢村が大震災のことで大事なことに取り組んだことと、会わぬままに書家として人として新しい可能性に挑戦してきたことを心に刻んだ。2015年のKIITO (デザイン・クリエイティブセンター神戸)での加川広重巨大絵画プロジェクトの場が最もふさわしいと思いながら適わなかった。
沢村の資料が届くようになり、書家という既成の概念を次々と変えていく「格闘家」と呼びたくなる姿勢に驚き、「書」を踏まえながら越境していく。その姿は「書家」というよりも「表現者」の名が相応しい。
同じ時にギャラリー島田troisでは「詩」を越境した津高和一-架空通信を開催します。島田誠