宮城県北西部、奥羽山脈の山麓の町鴬沢に細倉鉱山という、鉛や亜鉛を産出した日本で有数の鉱山がありました。
1941年、旧満州に生まれた寺崎英子は、家族とともに細倉に移り住み、家業の売店を生業にしてきました。
鉱山の閉山が発表されると、寺崎はカメラを手にし、その後の細倉とそこに暮らす人々の行方を撮影してきました。
このプロジェクトは、2016年5月、75歳で亡くなった寺崎英子から託された、約1万3千カットのネガをアーカイブし、写真集刊行を目指すものです。
今回は、アーカイブ途上のモノクロネガから約300点の写真を、撮影ノートなどの資料とともにご紹介します。