岡本太郎にとって、フランスのパリ市は重要な都市の1つでした。1930年から1940年まで過ごしたパリで、世界中から集まった芸術家たちに揉まれながら、岡本は独自の個性を確立しました。そのため、秘書であり養女となった岡本敏子は、「岡本太郎は、戦前のパリで『岡本太郎』になった」と述べています。
また、小説家であった母・岡本かの子の小説『巴里祭』の増刷版(1941年刊)のために、装丁画として、パリの風景画も描いています。
その後も岡本は度々パリを訪問し、芸術家としての活動を展開しました。
本展では、岡本太郎のパリでの活躍を中心に展示構成し、東京とはちがった、パリでの「岡本太郎」をご紹介します。