タカ・イシイギャラリー フォトグラフィー/フィルムは、8月26日(土)から9月30日(土)まで、宮本隆司個展「ロー・マンタン 1996」を開催いたします。宮本は、個々の使用目的や存在事由を超えた建築の物質的な相貌に関心を寄せ、都市の変貌・崩壊と再生の光景を独自の視線で撮影してきました。タカ・イシイギャラリーで初めての個展となる本展では、ネパールの城砦都市ロー・マンタンを撮影した、この度初公開となる作品約22点を展示いたします。
1980年代より、宮本は解体の最中にある建造物や無名の偶発的な建築群などを被写体に、意味や役割から解き放たれた「もの」としての建築の本質に正対し、またそれらと周辺環境との関わりや、都市空間の潜在的側面としての「都市の無意識」を捉えてきました。都市の襞に分け入る写真家の身体的な空間との関わりと細部を均質に写し取る謹直な眼差しにより獲得されたイメージは、優れて社会的・同時代的な課題を反映しながらも、喪われゆく、あるいは喪われたものへのノスタルジアや、社会構造の変動に晒された都市生活に関する感傷的なドキュメントに留まることなく、そこにたち現れる空間の変質そのものを明らかにしています。
1996年5月、宮本は詩人・佐々木幹郎の誘いを受け、7日かけてネパール・ムスタンの城砦都市ロー・マンタンに赴きます。標高3,780mに位置し過酷な気象条件に晒された同地は、1991年まで外国人の入域が禁止され、電気・ガス・上下水道などの近代都市設備は無く、1996年当時交通手段は徒歩または馬に限られており、まさに秘境とも言うべき様相を呈していました。城内は王宮を中心に、チベット仏教寺院・僧院が建ち並び、住居がその隙間を埋める入り組んだ作りで、人々は城壁の外周で麦・蕎麦の栽培や羊の放牧を行い、衣食住を自給自足しています。宮本は、フランスとオランダにおける14-15世紀の生活と思考の諸形態を記したヨハン・ホイジンガ著『中世の秋』の第1章「はげしい生活の基調」を引き、ロー・マンタンの印象を次のように述べています。
城砦のある旧市街をもつ都市や廃墟は世界各地にあるが、ここでは現在も王宮に領主がいて統治し、多くの僧侶が修行、勤行する寺院があり、住民と家畜が共に暮らす住居が城壁に囲まれている。日々の暮らしと宗教の聖なるものが城壁に囲まれて、はっきりと一つになっている。
歴史学者ホイジンガは『中世の秋』の冒頭で、「世界がまだ若く、五世紀ほどもまえのころには、人生の出来事は、いまよりももっとくっきりとしたかたちをみせていた。(……)災禍と欠乏とにやわらぎはなかった。おぞましくも過酷なものだった。病は健康の反対の極にあり、冬のきびしい寒さとおそろしい闇とは、災いそのものであった。(……)都市は、わたしたちがみなれているように、味気なくお粗末な工場や小屋がだらだらとひろがる郊外に、しまりなく消滅してしまうようなことはなかった。市壁にとりまかれ、きちんとまとまり、数知れぬ尖塔が空をさしていた。」と書いている。ロー・マンタンはホイジンガの言うように、現代にタイムスリップした中世を、そのままに生きている城砦都市であった。
宮本隆司、2017年6月
文中引用:ヨハン・ホイジンガ著、堀越孝一訳、「中世の秋」、堀米庸三編、『世界の名著55 ホイジンガ』、中央公論社、1967年、pp.74-75
9日間に亘る滞在の間、4×5の大判カメラを携え撮影は行なわれましたが、宮本は絶えず高山病に苛まれ撮影道中の記憶も定かでなく、再訪を誓ったものの機会を逸したまま21年の歳月が流れました。眠っていた当時のネガをプリントすると、「城砦都市の光景が、思いがけずくっきりとしたかたちをみせていた」と宮本が語る通り、この度初めて発表される作品群には、市井の暮らしに照り付ける光とそこに生じた影の中に、内と外を規定しこの地の生活文化を育んできた堅牢な石壁の姿がありありと写し取られています。