パート・ド・べールとはフランス語で「ガラスのペースト」「練りガラス」という意味です。この技法は細かく砕いたガラスの粉を鋳型に詰め焼成するため、自由な造形表現が可能であり、色彩においても濃淡や混色など、複雑な調節が出来ることが大きな特徴となっています。アール・ヌーボー期に流行を迎えますが、第二次世界大戦を境に途絶え、戦後しばらくはガラス工芸の中でも最も難しい幻の技法とされてきました。 内田邦太郎は、東京芸術大学工芸科の鋳金を先行し、卒業後大阪市立工芸試験所無機化学課ガラス研究室に入り、色ガラスの調合研究を行い、その後、大阪三友ガラス工芸に入社、吹きガラスの技術を学びます。内田がパート・ド・ベールを初めて見たのは宝飾デザインに携わっていた1970年代、アール・ヌーボー作家アンリ・クロ(1840-1907)との出会いでした。吹きガラスでは再現しがたい複雑な美しさに魅了された内田は、パート・ド・ベ-ルが幻の技法だと知り研究に没頭します。そうして40年余りの研究のすえ、内田式パート・ド・ベールを考案し、さらに発展させた形で発表しました。それは複雑な造形と重厚かつ鮮明な色彩を放つ美しいガラス表現です。内田の手によって蘇ったパート・ド・ベールのすべてをご紹介します。