大澤鉦一郎の写実絵画:細密から簡素へ
大澤鉦一郎の芸術を語るとき、つねに大正期の細密描写による写実絵画に焦点が合わされてきた。
確かに、岸田劉生の草土社への対抗心をもって結成された愛美社の第1回展出品作の《自画像》(愛知県美術館蔵)には、この画家の強靭な意志が刻まれている。自己を冷静に見つめる細密描写という以上に、自己を叱責するかのような厳しい写実表現が感じられる。そこには現実にある自己ではなく、理想としてあるべき自己の姿が描かれている。
これ以降、常滑や名古屋の風景、卓上の林檎や蜜柑、身近な少年や少女、花瓶の白菊や水仙、そして最愛の妻その子をモデルとして、細密描写による写実絵画を制作するが、その再現性が高まるとともに、象徴的な光による明暗表現が強調されるようになる。大澤は、存在の不思議に感動する劉生とは違って、存在を理想的に演出するのである。
大正期の後半には、日本画へ接近するなど、西洋的な細密描写から離れ、昭和期には、簡素で平明な形態表現へ移行して、戦後を迎えると、太く伸びやかな輪郭線を特徴とする独自の画風を確立した。
この対象の形態の極限的な簡素化にこそ、意志的な写実絵画を探求した大澤鉦一郎の芸術の真の到達点があるのではないだろうか。
山田 諭(京都市美術館学芸課長)