アートコートギャラリーでは、この度、吉岡千尋による個展を開催いたします。
吉岡は1981年に京都府に生まれ、2006年に京都市立芸術大学大学院・油画専攻を修了しました。大学院在学中の2005年には新進作家の登竜門である京展(京都市美術館)で市長賞を受賞し、2009年にはVOCA展(上野の森美術館)に参加、さらに2014年の京都府美術工芸新鋭展(京都文化博物館)では京都新聞社賞を受賞するなど、着実にキャリアを積み重ねながら京都を拠点に制作活動を続けています。
実際に目にし記憶した風景、小説の文章から想起されるイメージ、スクリーンに映し出された映画の一幕など、吉岡は近年、見る(あるいは読む)ことを通して自らの存在が外の世界に触れるときに立ち現れる儚くも印象的な光景を絵画制作の主題としています。
2012年より吉岡が継続的に取り組んでいるモチーフである薔薇とその周囲を描いた《rose》を中心として、アルハンブラ宮殿の天井装飾を仰ぎ見た経験に着想し、紅葉した樹木と空の仰瞰風景を描く《muqarnas》(2014-)、イタリア滞在中に出会った宗教画を模写することから展開する《mimesis》(2015-)、本展はこのような3シリーズの新作・近作によって構成されます。
《rose》、《muqarnas》では、作家が自身の眼と身体を通して受容し、客観的現実と主観的意識の間で醸成された光景が、記憶の濃淡や知覚の不確かさとともに塗面へと置き換えられます。また、《mimesis》においては、テンペラやフレスコで描かれた宗教画の模写を重ねることによって絵画の表層と構造とを往還しながら、原画の描き手や度重なる修復、古典技法による制約など、他者や外的条件によって幾重にも媒介されたイメージに潜む過剰と欠落をあぶり出すことが試みられます。
吉岡の場合、「描く」という行為は自身の主観や感覚を際立たせるやり方ではなく、知覚・記憶された事物の印象を、なるべくそのままの姿と質感で画布の上に再現すべく「写し描く」という姿勢に基づいて進められます。画面に引かれたグリッドを拠り所として、自らの位置と描かれる対象との距離を慎重に確認しながら、白亜地や金属粉を定着させた下地の上に即興的な筆運びでイメージを再構築する——。その過程において、モチーフへの介入は、記憶の不確かな部分に対する「補足」や「省略」、あるいは構造上の問題から未確定にせざるを得ない領域の「塗り残し」といった控えめな身振りとして実現されます。それによってイメージの曖昧さは取り除かれることなく画面に留保され、見ることについての本質的な問いかけ、果てしない空間の広がりや過ぎ行く一瞬、積み重ねられた時間に宿る精神性など、知覚では捉えきれない要素をも包摂する影のように、儚さと緊張感が同居する独特の佇まいを生み出します。また吉岡は、しばしば同じモチーフを繰り返し描きます。脳裏に留まる不完全なイメージは、多面的に描き出されることで互いに補い合い、親和的な情景となって鑑賞者の内部に映し出されます。
本展では、「見る」そして「描く」という行為が本質的に抱える「伝わらなさ」そのものの中に、触知し得ない無限の時空間や絵画をめぐる問いをつなぎとめ、他者性を受け入れながら世界と密やかな交感を結ぶ可能性を探る吉岡作品の魅力を、各シリーズ間の差異と共通点を通してご紹介します。