1959年東京生まれの桑原正彦は、80年代から作品を発表しはじめ、以後一貫して近代化で変容する風景や人間への違和感を表現してきました。
桑原の子供時代の原風景となっている、60、70年代日本の経済繁栄により生じた無機質な建物や景色、無名のまま消費され打ち捨てられる人形やおもちゃ、汚染された水辺の奇妙な生物。それらのもの悲しさを軽妙にユーモラスに描きつつ、淡いトーンの色彩とぼやけた輪郭で背景と同化させた表現からは、現代に生きる私達にふとよぎる虚しさやけだるさ、寂寥感と表裏一体の不思議な多幸感をも感じられます。
桑原は本展に際し、次のように語ります。
子供の兄とわたしは
祖父に連れられて、ハゼ釣りに行った。
幾つの頃だったか。
コンクリートに囲まれた小さな浜辺。
油の広がる海は虹色に光っていた。
黒く臭う川。
家の中に溢れる石油化学製品。
増え始めた新建材の住宅。
問題のある加工食品。
わたしのいた風景。
わたしの一部。
洗浄。
消去。
新しい包装。
絶え間のない開発、新しい商品。
景色は次第に、白く、明るくなり、
わかりやすい汚れは少しずつ透明になって、
夢の中に溶けていった。
知らない国。
祖父母、父、母、家の犬や猫たちもとおにこの世界を去った。
わたしの暮らす地域はこの十数年で姿を変えた。
土壌を浄化した工場跡地は小さな街になった。
新しい道と集合住宅。商業施設、総合病院や公園……。
きれいな街。
白っぽい、明るい街。
由来を洗った商品と、
それによく似たわたし。
静かな書き割りの中を歩いてゆく。
ヒトも、動物も、食べ物も、
とても遠い。
ここが何処か忘れた。
(桑原正彦「fantasy land」2017年)
また、美術評論家の松井みどりは、桑原作品と、97-8年頃アメリカで流行した「バッド・ペインティング」との共通点を見出しながら、次のように評しています。
(バッド・ペインティングの)その美術史の恣意性を逆手に取った、「近代的な芸術の制度」に反発する「地域性」の主張と、その抑圧の過程にまつわる社会的個人的な「恥」の、現代のチープな大衆画のスタイルを通した解放は、桑原の方法と通じている。
(松井みどり「名付け得ぬ周縁:桑原正彦のバッド・ペインティング」桑原正彦<眺め>カタログ、小山登美夫ギャラリー、1999年)
桑原正彦の絵を初めて見たのは95年の『Tokyo Pop』展でだった。・・(中略)『ポップ』というにはあまりに『歯切れの悪い』桑原のスタイルには、『現代美術』や『モノ』のグラマラスな表層から滑り落ちる周縁的造形の哀しみや恥といった、卑小な『悪』を受け止める『内面性』の手がかりが息苦しいほど明らかに残されていたのだ。
(桑原作品は)、風景でありながら体内や脳の内部を思わせる不定型の世界だった。その、一つの皮膜を通して内外が反転を繰り返す背骨のない曖昧な世界の姿は、理性によって分断される『現実』の裏側に広がる『意識下』の肉感 ー軟体動物の夢ーの表象のようでもあった。
(松井みどり「ストレンジ=ペインティング」STUDIO VOICE、1999年8月号)
本展「fantasy land」は、最初に開催した1997年「棄てられた子供」展以降、小山登美夫ギャラリーでの10回目の個展となり、新旧約30点の作品を発表いたします。
私たちが普段見過ごしている世界の奇妙さを軽妙にすくいとる桑原が、2017年の現代社会に渦巻く欲望をどのように表現するのか。この機会に是非ご高覧ください。