1986年に番画廊(大阪)の個展で発表されて以来、約30年ぶりの展示となる「M氏の部屋」。 銅版画から出発し、近年では絵画も手がけているとはいえ、あくまで矩形の画面の印象が強い吉原英里としては、他に例のないインスタレーション形式の作品である。
1980年代、先行する70年代の禁欲的な美術に対し、自身により切実な表現を求めジャンルの枠の外へと向かった多くの若い作家たちと同じく、吉原もまたインスタレーションを試みたのだと、時代の流れに括ることも勿論可能である。実際、彼女もそうした時代を生きた一人に違いない。だが、それぞれの切実さは、当然、個々異なっていたはずだ。
吉原は大学を卒業した83年より銅版画の発表を始め、翌年には初個展を開催。卓上のティーカップやふと置かれた帽子など、室内のワンシーンを鮮やかに切り取る洒脱な作風で評価を得る。
どの画面にも人の姿は無く、しかし誰かの気配が確かに感じられる。人を描かずに、人の存在を示したい、と吉原は言う。人物という基本的な題材をあえて封じるという選択に始まった逆説的な課題は、以後、現在に至るまで吉原の揺るぎないテーマとなっている。
ものを題材とする吉原ならではの、やはりこの頃に始まる独自の技法が、ラミネートである。新聞紙やティーバッグのラベルなど、実際の事物を雁皮紙で挟み画面に封じ込める。薄皮一枚ぶん物質性を遠ざけ、ものをイメージに織り込むこの技法で、吉原はさらに自作の版画のシートさえ素材として挟み込む。皮膜が今度は版画作品の、ものとしての性質を際立たせる。作品の表面からコンマ数ミリのところで、ものとイメージとが軽やかに混じり、揺らぐ。
86年の「M氏の部屋」も室内がモチーフで、画廊の空間が誰かの部屋という設定だが、インスタレーションは現実の空間のようには広がらず、むしろ壁際に留まっている点が興味深い。
ソファや椅子、テーブルの天板のかたちに板を切り抜き着彩した、ぺたっとした家具が壁面に並ぶ。テーブルの上には、版画があるというべきか、帽子があるというべきか、帽子のイメージを刷った版画作品が重ね置かれている。かと思えばその横の壁には、実物の帽子が掛かる。ものとイメージ、虚実の複雑な往来が、壁面から十数センチかのはざまで、密に展開する。ここでは、作品の空間が現実の空間にはみ出しているとも言えるし、現実の空間が作品の空間にプレスされ封じ込められているとも言えるだろう。
80年代のインスタレーションの多くは、当時わずか1週間ほどの会期で発表された後は、半ば伝説めいた噂として聞くばかりで、実見することが中々かなわない。吉原の近作では、現実の空間と作品の空間との関係をめぐる問題が、ふたたび前景化しているようにも思われる。このタイミングでの再展示を、ぜひ逃さず目にしたい。 江上ゆか (兵庫県立美術館 学芸員)