このたび笠岡市立竹喬美術館では、平成30年(2018)の国画創作協会創立100周年を迎えるにあたり、設立にいたる経緯を考察するために、その前夜のうごめきを探る特別展を開催します。
明治42年(1909)、京都市立絵画専門学校(絵専)開設のとき、小野竹喬、土田麦僊、榊原紫峰、村上華岳、野長瀬晩花、入江波光の6人が入学します。彼らはこの9年後の大正7年(1918)に、国画創作協会を創立するメンバーとなります(波光は第1回国展後に会員となる)。竹内栖鳳塾の竹喬と麦僊、谷口香嶠塾の晩花ら塾派の3人と、京都市立美術工芸学校に学んだ紫峰、華岳、波光ら学校派の3人とは、絵専時代はさほど交流はありませんでした。しかし、それぞれが文展や新古美術品展へ出品した、日本画の新時代を切り拓こうとする清新な作品によって、相互に魂が触れ合う仲間となり、京都知恩院の周辺に集うようになります。知恩院派、東山連と称される新鋭の集まりとして次第に注目され始めます。麦僊を中心として、大正2年(1913)頃から新しい絵画運動を興そうとするムードが高まり、当時設立した二科会や再興美術院への参画も検討されます。その経緯の中で、大正6年(1917)の第11回文展において、前年に特選を得ていた竹喬と華岳の力作が落選したことを契機に、非文展を掲げる国画創作協会を創立することを、大正7年(1918)1月に宣言します。京都の近代日本画にとって、最も輝かしい時代が到来することとなります。
今回の展覧会は、明治43年(1910)頃から自然発生した、桃花会、黒猫会、仮面会など先鋭的な同人展の活動や、秦テルヲや晩花の個展など、頻繁に展開した個性的な創作活動の成果を、一つの時代性として提起する内容です。国展創立の蠢動といえる魅力的な作品をご紹介します。