漆膜?漆塗アルマイトモザイク!?昭和漆芸のロストテクノロジー
太齋春夫(だざいはるお/1907-1944)は、仙台市長町に生まれ、1932年(昭和7)、東京美術学校図画師範科を卒業しました。在学中より二科展に出品するなど油彩にその才を発揮していましたが、漆芸家六角紫水らのすすめにより、卒業後から漆の研究をはじめ、1933年(昭和8)、台湾総督府殖産局嘱託となり、ここで漆の研究に没頭します。翌年には、漆でフィルムをつくる漆膜の技法を開発し、特許を取得。工芸品の製作のみならず、漆を絵画の領域にも活用し、多彩な制作を行いました。1939年(昭和14)には、ニューヨーク万国博覧会にこれまで培った技法を活かし漆器の衝立を出品して賞賛を博します。漆の可能性を模索し、将来を嘱望された太齋でしたが、1943年(昭和18)に応召を受け、翌年、中国の湖南省平江県において帰らぬ人となります。
工芸と美術の間をぬって活躍した太齋の活動は、昭和の美術の動向に新たな光を投げかけるものです。しかし、若くして亡くなったということもあり、残念ながらこれまでほとんど一般に知られておりません。練馬区立美術館では、2015年度にご遺族より太齋の作品・資料をあわせて100件以上のご寄贈を受けました。本展ではこれらの作品・資料を中心に、漆の画家太齋春夫の軌跡を追いかけます。
漆膜や漆塗アルマイトモザイクなど、太齋が開発に携わった様々な技法は、その後、ほとんど継承されておりません。今や失われて久しい特異な昭和漆芸の世界を、あらためてお目にかけます。