伊藤慶之助(いとう・けいのすけ 1897~1984)は大阪市に生まれました。1914年から赤松麟作が主宰する洋画研究所に入塾して研鑽を積み、1916年第1回大阪洋画会に出品して入選、大久保作次郎、国枝金三、小出楢重らとともに妙技賞を受賞します。翌年上京して本郷洋画研究所に入り、岡田三郎助に指導を受けます。1918年の第6回光風会展の初入選を皮切りに公募展への入選を重ねますが、1923年の関東大震災を機に帰阪。翌年の第2回春陽会展に入選以後、同展へ出品を続けます。
1929年、鐘淵紡績社長武藤山治の支援でルーヴル美術館での模写を条件に渡仏。アカデミー・コラロッシュで学ぶ一方、サロン・ドートンヌで入選を果たします。1932年に帰国し翌年に春陽会会友、1938年に西宮市へ移り、翌1939年には春陽会会員に推薦されます。戦後も引き続き春陽会に出品を続ける一方で、西宮市民美術教室の設立に関わり、大手前女子大学で教鞭をとるなど、美術教育にも心血を灌ぎ、1961年第1回西宮市民文化賞、1968年兵庫県文化賞を受賞しました。
このたびの展覧会は、伊藤慶之助の生誕120年を記念して開催するもので、滞欧作を中心とした所蔵品の代表作と、2016年度の新収蔵作品2点に、未公開資料を交えた約20点により、大正そして昭和の洋画壇で半世紀以上にわたり活躍した画家の足跡を振り返ります。