戦時下の昭和19年8月、東京都板橋区の国民学校(現在の小学校に該当)19校は、アメリカ軍による空襲被害を防ぐ目的として、群馬県内に集団疎開を実施しました。総勢6000名に及ぶ大規模なものでした。児童らが疎開先から帰ってきたのは昭和20年10月(一部は翌21年3月)のことで、約1年にわたるつらい疎開生活を送りました。
収蔵品展「板橋の学童疎開」は、群馬県水上町の阿部トシ氏から疎開児童に関する貴重な「古家ホテル記念帳」の寄贈を受け、この記念帳を中心に改めて戦時下の学童疎開の実状を紹介するものです。過去に学童疎開に関する展示を、平成7年秋、特別展「板橋の平和-戦争と板橋 語りつぐ苦難の日々-」で紹介しましたが、今回は「古家ホテル記念帳」をふくめた新規の資料を中心にそえながら、悲惨な学童集団疎開に至った経緯と戦後復興までを紹介します。