脇村義太郎(1900~1997)は田辺市名誉市民であった父・市太郎の長男として現在の田辺市に生まれ、旧制田辺中学、旧制第三高等学校、東京帝国大学経済学部を卒業後、同大学助教授、教授などを歴任。その間、船員中央労働委員会会長などをはじめとする多くの政府関係機関の役職を務め、戦後復興期における経済関係のブレーンとして活躍しました。
一方、戦後神奈川県の逗子に転居し、疎開していた家族とともにこの地に定住、戦前から湘南に住んでいた文人や画家たちと交流し、多くの日本画家、洋画家、学者たちとも深い関わりを持ちます。このことは自身の絵画に対する審美眼を磨くことに繋がっただけでなく、元々経済学者として培った洞察力や探究心とも相まって、美術作品に対する類まれなる造詣の深さや見識を発揮し、神奈川県立近代美術館や東京都美術館をはじめとする多くの美術館の運営に関与することにもなりました。
義太郎は郷里への思いも深く、父・市太郎とともに財団法人(現、公益財団法人)脇村奨学会を設立して役員に就任、南紀出身者の人材育成に努め、郷里で所蔵作品の展覧会を開催するなど文化活動の支援も積極的に行ないました。
本展覧会では、彼が生前収集したコレクションを、紀州をテーマに描かれた作品や、交友してきた作家たちとの関係がうかがえる作品を中心に、脇村家の山林業ゆかりの地である熊野古道なかへち美術館で紹介します。