熊谷守一(1880-1977)の作品は、その類ない「モリカズ様式」とも呼ばれる造形によって、今日も多くの人々を魅了し続けています。熊谷が97年の生涯を閉じてからちょうど40年となる今年、改めてその多彩な表現活動と人物の魅力を振り返りたいと思います。
熊谷は1880(明治13)年に現在の岐阜県中津川市付知町に生まれました。父の熊谷孫六郎は初代岐阜市長などを務めた政治家、実業家で、裕福な家庭に育ちますが、異母兄弟との複雑な人間関係のなかで幼少期を過ごし、やがて画家になることを希望して、東京美術学校(現在の東京藝術大学)に学びます。在学中に父の死によって大きな負債を背負いますが、動じることなく自分の道を歩み、首席で卒業、官展への入選と、画家としての地歩を固めてゆきます。しかし、極度の寡作のために生活は困難を極め、貧窮のなかで、生まれた5人のこどものうち3人には先立たれてしまいます。
そうした生活の中で、熊谷は身の周りの自然を見つめ続け、自身の内面での対話を重ね、やがて切りつめたシンプルな輪郭線によって対象を捉えた、色面の構成による独特な表現を確立します。そして小さくとも輝く生命が凝縮された、象徴詩のような作品を生み出してゆきました。熊谷はそのような油彩画だけでなく、書と日本画も好んで描いています。そこにある大らかで豪胆な線の表現は、熊谷の人柄をなによりもよく伝えてくれるものです。
また最晩年の熊谷の姿を写した貴重な写真が藤森武(1942-)によって残されています。藤森は足しげく自宅を訪れて熊谷と心を通わせ、写真嫌いだった熊谷から撮影の許しを得ました。そうして写された熊谷の人間像を伝えるポートレイトも今回の展覧会では特別に展示します。
書と絵と肖像によって、「いのち」を見つめ続けた、熊谷守一の芸術と人をお伝えしたいと思います。