江戸時代、備前の国をおさめた初代岡山藩主池田光政(1609~1682)は、藩士の子弟の教育機関である“藩学校”を設立し、寛文9年(1669)7月25日に開校式をおこなうと、翌年の寛文10年(1670)には領内の庶民教育のために“閑谷学校”を創建しました。藩学校の建物は昭和まで現存していましたが、昭和20年の空襲で焼失してしまい、現在は半円月形の池と橋だけが残っています(岡山市北区蕃山町)。一方、現在の閑谷学校は、元禄14年(1701)に建てられ、国宝に指定されている講堂や重要文化財の聖廟、閑谷神社などが現存しており、“学びの源郷”として幅広い世代の人々に親しまれています。また光政自身が藩政に取り組む一方で、率先しておこなっていた書や写経、和歌などの“学び”の姿勢が、後の岡山藩の文化を築く礎になったとも考えられます。
本展では、池田光政が書写した中国の経書『孝経』や、鎌倉時代の和歌集『風葉和歌集』の抜書、『古今和歌集』の古写本『清輔本』など、光政の幅広い教養をあらわす自筆の写本類を展示します。また、光政に仕えた熊沢蕃山(1619~1691)が著した『花園会約』や、蕃山が師事していた中江藤樹(1608~1648)筆の孔子の聖号「至聖文宣王」、さらに藩学校奉行の市浦毅斎(1642~1712)筆と伝わる『朱文公学規』や、閑谷学校のお茶室「黄葉亭」にまつわる詩文や風景が描かれた『黄葉亭記』など、藩学校や閑谷学校に関連する史料も展示します。これらの資料を通じて、光政の深い教養に裏付けられた確かな“学び”によって育まれた、2つの“学校”についても知っていただければ幸いです。
なお本展は、平成29年5月25日(木)~7月2日(日)に岡山県立博物館にて開催されている企画展「江戸時代の岡山の学び-教育県の源流-」と連携した展示になっております。そちらでは、江戸時代を中心に岡山県内各地で行われてきた人々の学びに係る文化財を取り上げ、「教育県岡山」の伝統について紹介しております。この機会にぜひ足をお運びください。