水彩画は学校教育に取り入れられたこともあって、多くの人が実際に手がけたことのある身近な絵画技法となっています。本展は、日本における水彩画の黎明期といえる明治時代、その発展と普及に大きな役割を果たした大下藤次郎(おおしたとうじろう)の業績を紹介するものです。
大下は、1870 (明治3)年、東京の商家に生まれました。家業を継ぐことを期待されながらも画家を志し、満21歳の時にその道を選択します。大下が興味を抱いたのは、西洋からもたらされた新しい絵画でした。大下は、洋画家の中丸精十郎(なかまるせいじゅうろう)、続いて原田直次郎(はらだなおじろう)に師事して技法を学びはじめます。ただし洋画家の多くが油彩による制作を中心としていく一方で、大下は水彩画への関心を深め、その専門画家となることを決意しました。
水彩画を専らとしたのは、大下が風景を写しとる写生という行為に強く惹かれたためでした。絵具を水で溶けばすぐ描き出すことができ、道具の持ち運びも容易であるという水彩画の手軽さと即応性は、大下の志向を実現するために最適な技法だったのです。大下は、1911(明治44)年に41歳の若さで死去するまで日本各地を旅し、土地土地で見つけた風景に目を向け、そこにある美しさや情運を水彩画の画面に表し続けました。
また大下は、作品を描くだけでなく、水彩画の技法書や専門雑誌『みづゑ』の発行、研究所の設置などを通して、普及活動にも積極的に努めています。大下の活動は、明治30年代以降、日本各地で増え始めていた水彩画愛好者たちからの強い支持も受けて拡大し、水彩画の全国的な流行へとつながっていきました。
本展では、日本における水彩画の開拓者であり伝道者ともいえる大下が、各地を旅しながら残した、透明感のあるみずみずしい風景画の数々を、関連資料とともにご紹介します。2018 (平成30)年は、明治維新から150年を迎える年であり、まさに明治時代を生きた大下の画業を通して、その時代の日本に思いを馳せる機会ともなるでしょう。
なお本展は、大下の著作に序文を執筆したり、本人をモデルとした小説を発表したりするなど、大下と交流の深かった森鷗外(もりおうがい)の出身地である島根県西部、石見(いわみ)地域に立地し、「森鷗外ゆかりの美術家の作品」を収集する島根県立石見美術館の特別なご協力により開催いたします。