戦前の池袋と落合、戦後の沖縄・首里のニシムイに「アトリエ村」がありました。それら画家たちのコミュニティは、戦争や占領による抑圧の下にあった彼らの拠り所であり、世代や地域、思想を超えた交流によって多様な傾向の作品が生み出されます。
1930年代の池袋周辺には、アトリエ付き住宅が立ち並び、その様子はパリの芸術家街になぞらえ「池袋モンパルナス」と呼ばれました。そこには北海道から沖縄まで各地から上京した芸術家の卵が集い、切磋琢磨しながら新たな表現を模索します。隣接する落合にも佐伯祐三、松本竣介や沖縄出身の名渡山愛順らの画家、文学者、音楽家たちが居を構えており、戦前の池袋、落合一帯は様々な分野の芸術家が集う文化醸成の場となっていました。しかし、1941(昭和16)年に始まる太平洋戦争は、こうした営みを一変させ、自由な作品発表の場は失われます。
戦後「池袋モンパルナス」は再建され、次世代の画家が集まり、新たな美術運動の発信の場となりました。地上戦で壊滅状態にあった沖縄でも、学生時代を池袋や落合で過ごした名渡山らを中心に、1948(昭和23)年「ニシムイ美術村」が首里に建設されました。画家や彫刻家に加え、文化人もここに集い、戦後沖縄の美術と文化の展開に主導的な役割を果たすことになります。
本展では、池袋、落合、ニシムイに集った芸術家の作品約90点を初めて一堂に会し、3つのアトリエ村の概要と意義を明らかにすると共に、戦前から1971(昭和46)年の沖縄返還協定調印の頃までの東京と沖縄の文化交流の一断面を紹介します。