歌川広重(1797~1858)は、天保3年(1832)の夏、京都御所へ御料馬を献上する八朔御馬進献の行事を記録する内命を幕府から受けたため、江戸から京都へ上ったといわれています。この旅中のスケッチをもとにして描いた≪東海道五拾三次之内≫は、はじめ保永堂と遷鶴堂から共同出版され、のちに保永堂からの単独出版となり、天保5年(1834)、53ヶ所の宿場町に日本橋と京都を加えた大判錦絵全55図が完結しました。
≪東海道五拾三次之内≫が好評を博したことにより、名所絵師としての確固たる地位を築いた広重は、生涯にわたって20種以上もの東海道シリーズを残します。画題が隷書体で書かれていることから「隷書版東海道」とも呼ばれる丸清版の東海道五拾三次もそのうちの一つで、保永堂版が世に出てから15年の時を経た嘉永2年(1849)、丸屋清次郎の寿鶴堂から出版されました。
保永堂版の序文に「まのあたりそこに行たらむここちにさせられて」とあるように、日本橋から京都まで実際に旅行したように感じさせる東海道五拾三次を「保永堂版」(ほえいどうばん)と「丸清版」(まるせいばん)二つ同時に展示し、2つの構図で展観します。また大正時代に撮影された宿場町の様子も合わせてご覧いただけます。