生と死に向き合いながら木版画を刻んだ3人の若者たちの作品集。
公刊『月映』は、恩地孝四郎、田中恭吉、藤森静雄の3人による自画・自刻の木版画と詩の同人誌です。機械刷りによる200部限定で1914(大正3)年9月から1915(大正4)年11月まで計7集が洛陽堂を出版元として刊行されました。創作版画誌として先駆的なもののひとつです。
当時3人は東京美術学校の生徒でした。田中恭吉の木版画への情熱が藤森と恩地にも伝わり、3人は版画誌を出すことを計画したのです。その頃すでに田中は肺結核を患っており、1914(大正3)年4月には療養のため故郷・和歌山に戻り、死の影をみつめていました。同年9月に公刊『月映』第Ⅰ集が刊行され、翌年10月、田中は23才で亡くなり、『月映』はⅦ集で終刊となりました。
『月映』は、生と死に向き合いながら、木版画に自らの内面や感情を刻んだ3人の若者たちの才能が結実した作品集です。死におびえ、魂を削るように作品を刻む田中恭吉。彼の絶望を共にかかえることとなった恩地と藤森も、内面や感情の表現を深めてゆきます。やがて、恩地の表現は日本で最初期の抽象表現へと達しました。若者たちの研ぎ澄まされた感性は、100年余を経てなお私たちの心に、強く痛切に響いてきます。