濱田台兒(はまだ・たいじ、1916年~2010年、本名、健一)は大正5(1916)年に現在の鳥取市気高町浜村に生まれ、昭和10(1935)年に上京し伊東深水に師事して美人画を中心に日本画を学びました。戦争の激化に伴い、昭和12年には軍隊に入営して大陸に出征し、翌年3月徐州手前の台兒荘の戦いで瀕死の重傷を負います。2年あまり療養を続けるなかで雅号を「台兒」に改めました。
昭和16年、新文展に初入選、翌年には《黄流》が特選となります。昭和21年、第2回日展で《夢殿》が特選、その後も日展を中心に活躍し、昭和37年には日展会員に推挙されました。昭和51年の改組第8回日展で、沖縄での取材をもとにした《花容》が内閣総理大臣賞を受賞。昭和55年には、文化使節団として赴いたロシア(旧・ソ連邦)での体験をもとにした《女辯護士》が日本芸術院賞を受賞し、平成元(1988)年、日本芸術院会員となります。日展審査員、評議員、理事を経て、平成7年から2年間理事長を務めました。
このたびの展覧会では、当館と鳥取県内の機関・個人が所蔵する作品を中心に、初期から晩年までの作品により、濱田台児の画業を見つめ直します。