中園孔二は、1989年神奈川県生まれ。2012年の東京藝術大学卒業制作において全国の美術大学・芸術大学の卒業・修了制作展から選抜された30名が展示を行う「アートアワードトーキョー丸の内 2012」に選出され、小山登美夫賞、オーディエンス賞を受賞。翌年の2013年、2014年と続けて小山登美夫ギャラリーで個展を開催し、2014年東京オペラシティアートギャラリーでの「絵画の在りか」展では初の美術館展覧会に出展致しました。
確かな技術に裏打ちされ、早熟で、自由で、「描いている方が楽」と本人が語ったように、溢れんばかりの絵画への熱意を多くの作品制作をすることで隠す事無く表現した中園の才能、創作活動は、今後の活躍を多いに期待させるものでした。
しかし昨年2015年7月の暑い盛り、突然中園の訃報が入りました。香川の海で消息不明となり、わずか25年の若い才能はその生涯を閉じたのです。ご家族を初め彼を慕う多くの人々がその早すぎる死を悲しみ、悼み、その後彼の作品が発表されることはありませんでしたが、今年、東京都現代美術館が中園作品をパブリックコレクションとして所蔵することが決まり、そして没後初めての展覧会、埼玉県立近代美術館でのグループ展「NEW VISION SAITAMA 5 迫り出す身体」(9月17日[土]- 11月14日[月])小山登美夫ギャラリーでの本展「中園孔二展」(9月16日[金]- 10月15日[土])が開催されることになりました。
中園の作品は、この若さで多くの作品を生み出していたこと、そして作品によって実に様々な表情を見せることに驚かされます。キャンバス上で幅広の絵筆が踊るような豊かな筆触を見せるペインタリーな作品から、取り憑かれたような、クレヨンの色と線の洪水が観るものに迫ってくる作品。支持体もまた麻布や板、キャンバスなど複数の素材が使われています。抽象的な色面で画面全体を覆うことで背景の奥行きを制限し、独得な人型などの複数のモチーフを重層的に配置する事によって、限定された範囲の中に遠近感のある絵画空間を生み出しています。揺らめくモチーフが一瞬のうちに像を結び、イメージとして定着したと思ったらまた再び揺らめき始めそうな、冒険的ともいえる不思議な豊かな景色が立ち現れます。
中園本人は、次のように語っています。
「何を描いているのかは重要じゃない、たくさん作ることに意味がある。(描く事は)外縁をつくること。中側はわからない、見れない、触れない」
(8/ tv「中園孔二」展記録映像、2014年より)
「誰か人と会った後に何か描けるような気がして、出来上がることがほとんどです。出来上がる表面はばらばらに見えますが、すべて自分の見てみたかった景色です。」
(中園孔二、2013年)
そして描かれるそれらのモチーフは、よく観察すると惰性的にあらわれたのではなく、画面構造を決定するように配置されていることがわかるとして、 中園作品の構造について、美術批評家の沢山遼氏は次のように語っています。
「像の輪郭に内接するもの、あるいは抽象的な模様の隙間に嵌め込まれるもの。(中略)3層、あるいは4層をなす絵画構造のすべてにおいて、異なった様式で周到に「顔」が描き込まれたもの。中園作品はその意味で、複雑な破片を嵌め込み、糸状の要素を構造的に張り巡らせ、絵画を緊密に構成された立体物とすることと、人形=キャラクターの侵入とが同時的である」
(沢山遼「人型は構造に肉迫するか?」美術手帖REVIEWS、2013年10月号)
本展では、大小さまざまな未発表作品を展示致します。
彼の残した作品を通して、彼が見ていたであろう豊かな景色や、絵画に対する盲目的な信頼と愛情、そしてペインターとしての高揚感をぜひ感じて頂ければと思います。この貴重な機会に是非ご高覧下さい。