初代歌川広重が安政5年(1858)9月に没したため、弟子の歌川重宣 (しげのぶ)(1826~69)は同6年初頭に二代目広重を襲名します。この二代広重は初代広重の作風を守り継承していきます。安政6年5月改印から文久元年9月改印まで「諸国名所百景」を制作しました。あいにく百図はそろわず、85点以上出板したところで打ち切られました。版元は「名所江戸百景」を開版した魚屋栄吉 (さかなや えいきち) で彫摺技法は「江戸名所百景」同様に凝った技法で行われました。この作品は二代広重の代表作であるとともに当時の風景版画の彫摺技法の水準を表す作品でもあります。江戸の市井の人々が諸国のどこに興味を抱き、その場所まで行けない時には二代広重の作品を見て思いを膨らませたことでしょう。
この度の展覧会では、後数年で明治という新しい時代を迎える最後に制作された風景版画をご紹介いたします。また二代広重の初代広重の作風を継承した頑なさと、当時の地方の名所や旧跡やお祭りはどのような所に、どのように行われていたかと見てみます。