叙情的な作風で版画家として評価された青年時代から、文学性を排除した晩年の明快な表現へ、関西の美術を牽引してきた泉茂(いずみ・しげる 1922-1995)の画業を紹介します。
大阪市に生まれた泉は、1939(昭和 14)年大阪市立工芸学校図案科を卒業した後、大丸百貨店に勤務のかたわら中之島洋画研究所に学びました。戦後、制作に専心するようになり、1951(昭和26)年に瑛九らと結成した「デモクラート美術家協会」で活動しましたが、泉が1956(昭和31)年の第1 回東京国際版画ビエンナーレ展で新人奨励賞を受賞したことをきっかけに同会は解散、1959(昭和34)年ニューヨークに渡り、そののちパリへ移りました。
そしてこの頃から、芸術とは作家の内部で育まれ、凝縮されたイメージを探求するばかりではなく、発見するものであるという考えによって、自身が描いたドローイングの一部分を切り取って拡大し、緻密な筆使いで再現するという方法で制作をはじめました。以後も意識的に自らが定めた制作方法を転換しながら、刺激的な表現を展開していきました。
それは、いちど版画家として高く評価された泉が、版画家の枠にとどめられることなく画家として生きるための、そして、自身に挑戦するかのように生涯たゆむことなく描き続けるための方法でもありました。それぞれの作品の魅力とともに、いま自身の生き方に向き合っている方にも、これから自身の仕事を始めようとしている方にも、その仕事術をあわせてご覧いただきたい展覧会です。