村上華子の作品の多くは、これまでも写真の古典技法や活版印刷術など、過去のものとされるメディアに焦点をあてた緻密なリサーチに基づいてきました。各作品には、複製技術の起源に関する逸話や村上自身の経験から語られるテキストが添えられ、虚と実、過去の史実と現在の仮説が錯綜する状況が作品の中に生まれています。ダゲレオタイプによる作品『APPRITION (OF THE SUN)』は、インターネットで「太陽」と検索したときに現れるイメージをダゲレオタイプとして再生産した作品です。世界で初めて商業化された写真技術であるダゲレオタイプが流通していた19世紀半ばではあり得ない、黒点やフレアの様子までもが映り込んでいるこの作品は、現代と過去の技法が交差する、いわばイメージの変種として提示されています。この作品には、デジタルデータとして無限に複製することが可能になった写真を「歴史上の先祖に送り返そう」とする作家の意図が表れていると同時に、写真や映画が本質的にはらむ虚実性を浮き彫りにし、メディアの終わりと始まりが併存しループする磁場のような様相を帯びています。
最初期にリュミエール兄弟により発明されたカラー写真法であるオートクロームは、「赤・青・緑」の三色に着色したジャガイモのデンプンを利用したものでした。その粒子は、村上にポスト印象主義の点描絵画からデジタルカメラの撮像素子、デジタル写真のピクセル、そして網膜の視覚細胞を想起させました。およそ一世紀前に作られてから未使用のままであったオートクロームの乾板を現像し、引き伸ばして制作された『ANTICAMERA (OF THE EYE) #P』には、まさにそれらを貫く形態をみることができます。村上は、オートクロームの板を網膜のアナロジーととらえ、「イメージが通過する空間」と述べています。見ることの仕組みそのものに迫りつつ、真実とフィクションを往来しながら制作される村上華子の作品をぜひ、この機会にご高覧ください。