鉄釉陶器の新たな表現を切り拓いた人間国宝 原清の展覧会を開催いたします。
原清は、昭和11年(1936)に島根県簸川 (ひかわ) 郡荘原村(現・斐川 (ひかわ) 町)に生まれました。少年時代を過ごした出雲は、北前船の寄港地で、江戸時代から有田や唐津の陶磁器が渡ってきた土地でした。登下校の途中に拾った染付の古い陶片の美しさに魅せられ、陶芸の道を志します。昭和30年(1955)、19歳で京都の石黒宗麿に弟子入りし、その1年後に清水卯一に師事。近代の鉄釉陶器を代表する二人の人間国宝のもとで学びました。
昭和33年(1958)、22歳で第5回日本伝統工芸展に初入選の後、同40年(1965)、東京都世田谷区に工房を築いて独立し、同44年(1969)には第16回日本伝統工芸展で日本工芸会会長賞を受賞。失透性の青い釉薬の地に、銅で紫紅色の斑文を発色させる「鈞窯」の技法で評価を高めました。
昭和55年(1980)に埼玉県寄居町に居を移し、様々な技法を手掛けながらも、「鉄釉」の技法で独自の世界を築いていきます。「鉄釉」とは、釉薬中の鉄分を黒や褐色に発色させる技法ですが、原の作品では、草原を悠々と駆ける馬や、風に揺らぐ草花など、身近な自然の世界を題材に、黒と褐色の二色のシルエットが溶けあうように表現されています。平成17年(2005)、「鉄釉陶器」の技法で重要無形文化財保持者(人間国宝)に認定され、以後今日に至るまで、精力的な創作活動を続けています。
茨城県陶芸美術館では、平成24年度に原氏から自作66点の寄贈を受けました。その前後に収蔵した作品とあわせ、現在当館では70点の原作品を所蔵しています。本展ではその中から48点をご紹介します。原清の代名詞といえる鈞窯と鉄釉のほか、灰釉、黄瀬戸、井戸茶碗、粉引、翠釉、翠磁など、原の尽きぬ探求心と創造の振幅、作陶に通底する柔らかな感性を改めてご覧頂く機会になりましたら幸いです。