山田光は戦後まもなく京都で八木一夫や鈴木治らとともに前衛陶芸家グループ「走泥社」を結成し、やきものによる立体造形を牽引してきた作家のひとりです。
このたび、岐阜県現代陶芸美術館では、戦時中、京都高等工芸学校時代に山田と机を並べ、以来、永きにわたって彼を支援し続けてきた世界思想社教学社創業者の髙島国男氏のコレクションから、山田と関連の作品合わせて55点のご寄贈をいただきました。これを記念して、山田光と走泥社の作家の作品をご紹介します。
山田光は1923年東京に生まれ、関東大震災後の混乱を避けて母の実家のある岐阜市に移り住みます。岐阜中学卒業後、京都高等工芸学校(現・国立京都工芸繊維大学)に入学。すでに京都で作陶生活を送っていた父喆 (てつ) のもとに身を寄せ、陶芸を始めました。戦後すぐは日展や新匠工芸会展に中国宋代の磁州窯に倣った掻落し文の壺などを出品していましたが、1946年、新たな時代の陶芸を志して八木、鈴木らと「青年作陶家集団」を、そして48年に「走泥社」を結成します。山田は1953年に《作品》と題して壺を切り、やがて55年には完全に壺の口を閉じます。1960年代に制作された焼締による《塔》のシリーズは山田の代表作となり、1970年代の《消えゆく壺》《耳》《数字》のシリーズを経て、1980年代には《黒陶陶壁》《黒陶スクリーン》、80年代後半からは《銀泥陶壁》《銀泥スクリーン》、そして90年代、晩年の《銀泥パイプ》へと展開します。
本展では、山田の立体造形の変遷を追うとともに、同じく半生を費やしたクラフト作品、そして八木、鈴木、辻勘之、熊倉順吉、笹山忠保ら走泥社の作品を加えたおよそ80点を一堂に展示します。
貴重な作品をご寄贈いただきました、髙島国男氏ご遺族と世界思想社教学社、ご協力賜りました山田光氏ご遺族ならびに関係者の皆様に厚くお礼申し上げます。