平成27年5月で萬鉄五郎記念美術館は開館32年目を迎えましたが、当美術館の建設にあたり、東和町出身の画家・藤原八弥の提言が、基になっていたことは今日あまり知られていません。萬鉄五郎が日本近代美術史に果たした役割の重要性を見いだしていた彼は、当時、その価値さえも知らなかった若者たちに説き続け、それがきっかけとなり住民や識者を巻き込みながら大きなうねりとなっていきます。そして、1984年5月、ついに萬鉄五郎記念美術館が開館となりました。
肖像画家の藤根與治郎(1903-1959)は、藤原八弥の兄で花巻市東和町土沢に生まれ、花巻や遠野で死者の肖像を多く描き、民俗学的見地から見直されている地方画家でもあります。與治郎が画家を志すきっかけは、萬鉄五郎の遺作展を見たことによるといいます。
一方、藤原八弥(旧姓藤根 (1914-1998))は兄の影響を受け、教員をしながら画家を目指します。初期には郷里土沢の風景を数多く描き、その後北上に移り住んでからは、同市の文化遺産である国見山地区の復興に尽力する傍ら、一水会会員として鬼剣舞や鹿踊りをテーマに数多くの作品を制作し民俗芸能の発展にも貢献しました。画家として地域文化の振興とその貢献度が評価され、1993年には岩手日日文化賞を受賞しています。
この度、與治郎が残した肖像画の民俗的な意義と、八弥が描いた懐かしい郷里の風景や鬼剣舞など、郷土芸能を描いた作品を紹介し、藤根與治郎、藤原八弥という画家の活動とその表現の変遷をたどり、そこに通奏低音として存在する萬鉄五郎という画家を見つめなおすとともに、藤根兄弟から地方美術のありようを探ります。